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ネットでの参拝について

ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界
 初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。
 全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。
 地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。
 森国英夫宮司(64)は「遠隔地でお参りできない人にも神社を身近に感じてもらえる。メールがきっかけで、直接参拝につながる例も多い」と話す。正月には毎年、全国から数十人のネット参拝者がいるという。
 ほかにも、メールを受けて有料で祈願し、後日、お札などを郵送する「ネット祈願」や、ネット上でお守りやお札を買える神社も、数年前から登場している。
 こうした動きに、神社本庁は今年7月、「信仰の尊厳を損ないかねない」と、全国の神社に自粛を求める異例の通知を出した。本庁の瀬尾芳也調査課長は「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。ネットの有効性は認めるが、仮想的、疑似的な側面が広がりすぎると、本来の信仰の形が崩れる」と説明する。
 だが、通知後も推進派は少なくない。10月からネット上でのお守り販売を始めた東海地方の神社の宮司は「地方の小さな神社にとってネットは有力な手段。ネットだから心がこもっていないとは言えないはず」とし、メールでの祈願を受け付ける関東地方の神社の宮司も「海外から『お守りを分けてほしい』というメールも来る。営利目的ではなく、信仰の尊厳を傷つけているとは思わない」と話す。
 これまでも、病人などには電話や手紙でお守り、お札の販売を受け付ける神社は多く、「手紙はよくてメールはダメというのはおかしい」という意見もある。本庁では、研究を重ね、来年にはネット利用の指針か報告書を出す方針だ。
 井上順孝・国学院大教授(宗教社会学)は「お札だって木や紙に印字したモノであり、どこに神聖性を見いだすかは受け手の判断によっても変わる。技術は日々進歩し、一律の統制は難しいが、指針を作るなら、『尊厳とは何か』という視点を踏まえつつ、現場の神職や氏子の意見も取り入れるべきだ」と話している。
(2006年12月16日14時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061216it04.htm


 これは、神社本庁の言っていることが正しい。当然といえば、当然だが。

 まず、ネット参詣の大きな間違いを1つ。
>願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックする
 このような神社が神社信仰を理解しているとは思えない。参詣に行った人が、その人の思いで神社にお願いするのは勝手である。神社信仰はそういう立場を妨げない。しかし、神社自らが神社をお願いの場にしてはいけない。
 それから、お守りのネットによる通信販売と、ネット上でのお願いを混同してはいけない。
 郵便でもネットでもいいが、神社のお守りを取り寄せることは、神社という神霊の存在する空間で、何らかの手続きをして、その空間から持ってくるものである。何も存在しないネットのお願いとは大きく違う。

>井上順孝・国学院大教授(宗教社会学)は「お札だって木や紙に印字したモノであり、どこに神聖性を見いだすかは受け手の判断によっても変わる。技術は日々進歩し、一律の統制は難しいが、指針を作るなら、『尊厳とは何か』という視点を踏まえつつ、現場の神職や氏子の意見も取り入れるべきだ」と話している。

 このコメントが一番おかしい。その辺の文化人モドキが言うのならまだしも、国学院教授が言ってはいけない。
 信仰は人間の立場で決めるものではない。神が存在し、その神に対して、どう行うかなのである。神の存在は多くの人には直接は見えないから、推測で行いしかないが、それにしても神社系大学の教授の言うことではない。
神職の意見ときた方がいい、というのはわかる。修行を積んだ神職は、神の存在を身近に感じているだろうから、どのようにしていけばいいのかわかるであろう。しかし、これは神職が全員がわかるというものではないだろう。
 また、氏子の意見というのはどういうことであろうか。氏子の数は多いのである。広義に解釈すると、当該地域に住んでる人全員が当該神社の氏子になる。それを広げて解釈すると、日本国民全員がどこかの神社の氏子である。それがなんの意味があるのか。何らかの運営を決めるのは多くの意見を聞く必要があろうが、神聖を決めるのは、神聖を感じることのできる人に限られるのである。
  
>「・・・ネットだから心がこもっていないとは言えないはず」
 まごころの問題といえば、まごころがこもっていないと一蹴できる。
 しかし、信仰とはまごころがこもっているかどうかの問題ではない。(少しはあるだろうが・・)また、本人の心の持ちようのだけ問題ではない。それは信仰の一部の要素でしかない。大切なのは神聖の問題である。多くの人は直接は見えないが、神社に何らかの神聖を感じているはずである。そこには本当の神が存在しているのである。その神の神聖にどう触れるか、それが大切なのである。

 神社信仰が、何を守ってきたか考えて欲しい。目に見えるものでは鎮守の森を守ってきた。多くの木を守ってきた。木や岩などに精霊が宿るという考え方(事実だと思うが)、多くの自然を守ってきた。都市部のちょっとした森を神社以外で探すのは簡単ではない。都市部の自然は神社によって守られてきたのである。
 神社信仰というのは、他の宗教よりも、空間を大切にしてきたのである。

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当然と言えば当然

男児ベンチ転落死、原告逆転敗訴…母親に危険回避義務
12月14日21時8分配信 読売新聞

 千葉市動物公園で同市内の男児(当時1歳7か月)がベンチから転落して死亡した事故を巡り、男児の両親が公園を管理する同市に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が14日、東京高裁であった。

 太田幸夫裁判長は「母親が男児に付き添っていれば、負傷する危険性はなかった」と述べ、同市に約1190万円の支払いを命じた1審・千葉地裁判決を取り消し、原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。

 判決によると、男児は昨年4月、1人で動物公園のベンチに座っていたところ、バランスを崩して後ろ側に転落。後頭部に、植え込みの枯れ枝が刺さり、同年5月に脳挫傷で死亡した。

 1審判決は、同市の管理責任を認めて賠償を命じたが、この日の判決は、母親がベンチから約1・5メートル離れた場所にいた点を重視し、「幼児がバランスを崩した際に、保護者はすぐに危険を回避できる場所にいるべきだ」と指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061214-00000212-yom-soci


 以前、1審判決のニュースを聞いたときは、千葉地裁の裁判官は頭おかしいんじゃないの?と思った。
 けど、高裁になると、常識的な判決をするね。
 そもそも、自分のミスを棚に上げ訴えることがおかしい。自分のミスで子どもを死なせてしまったということで、本来なら恥ずかしくて、人前に出れないはず。

 自分が目を離して子どもを死なせてしまって、誰かのせいに、いや、親戚や友人からの批判をかわすために、敗訴覚悟で訴えたのなら・・・、ほんの少し理解の余地あり。それに対して、1審の裁判官がおかしな判決をしただけ。そうあってほしい。

 母親が本気で市の管理責任があると思ったのなら、救いようのない人だね。母親になる資格なし。
 乳幼児の命を守るのは、母親であり父親であるから。それが義務である、というより、当然のこと。我が子がかわいければ目を離さないのは自然な行動。

「成績の悪い子が集まる」

「成績の悪い子が集まる」 高校を名指し、教育委員 [ 12月07日 20時38分 ] 共同通信

 大阪府教育委員会の定例会議で7日、川村群太郎委員(ダイキン工業副社長)が、府南部の高校を名指しして「大阪の南の成績が悪い子がみんな集まる高校」などと発言した。
 府教委によると、川村委員は会議後、「具体的な校名をあげたのは不適切で申し訳ない」と謝罪。発言を議事録から削除するよう申し出た。
 府立学校の経営支援策を議題にしている際、川村委員は府南部の高校を視察してきた感想を交えながら発言。同席しているほかの委員らは注意しなかった。
 竹内脩教育長は「その場で発言を注意するべきだった。現場を見てきた感想を述べておられたので、話の腰を折るといけないと思った」と話した。
http://www.excite.co.jp/News/society/20061207203808/
Kyodo_20061207a487010s20061207203808.html


 委員会なんだから実名を出すのは悪くないと思う。具体的な学校名を出さないと、見えないこともある。
 話の内容もある高校という表現をしたら、大袈裟にいうから実態とかけ離れるかもしれないし、発言の責任が薄くなくなる。
 ただ、「大阪の南の成績が悪い子がみんな集まる高校」といわずに、「大阪の南の成績が悪い子が集まり安い高校」程度にしてたほうが、表現も薄まるし、実情に近い。みんな集まるなんて有り得ないんだから。本当に悪いのは高校に行かない。高校に行けない。

 
「たばこやめて」と言われ女性と乳児殴る 横浜

「たばこやめて」と言われ女性と乳児殴る 横浜
 喫煙していたのを注意されたことに腹を立て女性と乳児を殴ったとして、伊勢佐木署は5日、傷害の現行犯で、横浜市中区扇町、ビル清掃員、岡部清容疑者(60)を逮捕した。岡部容疑者は容疑を認めているという。

 調べでは、岡部容疑者は同日午後0時10分ごろ、同区長者町のバス停で喫煙していたところを、同区根岸旭台の女性会社員(26)に「たばこやめてもらえますか」と注意されたことに腹を立て、女性と女性が抱きかかえていた生後8カ月の長男を殴り軽傷を負わせた。近くにいた男性会社員(27)が通報し、駆けつけた同署員が取り押さえた。
(2006/12/06 10:57 Sankeiweb)
http://www.sankei.co.jp/chiho/kanagawa/061206/
kng061206003.htm



 女性の注意の仕方がどのようなものかわからないものの、完全な逆切れである。しかも暴力。
 乳児への暴力はいかなる場合も許せるものではない。
 確か、横浜市はバス停は禁煙だったはず・・・。
 禁煙場所でなくても、乳幼児がいたらタバコを吸わないのがマナー。

 こんなニュースを見ると正義感から安易に注意するということができなくなる。見てみぬふりが正しい世の中にはしたくない。
ドア外に女高生挟んだまま、列車700m走る

ドア外に女高生挟んだまま、列車700m走る…福岡

 6日午前6時40分ごろ、福岡県福智町金田の平成筑豊鉄道人見駅で、直方(のおがた)発行橋(ゆくはし)行き普通列車(1両)に乗り込もうとした高校の女子生徒が乗車できないまま左足のつま先を後部の折り畳み式自動ドアに挟まれた。

 男性運転士(59)は気付かずにそのまま発車させ、生徒は車外の手すりにしがみついた状態で、次の金田駅まで約700メートル走行した。生徒はつま先に軽いけが。福岡県警田川署は業務上過失致傷の疑いで運転士から事情を聞く方針。

 同社によると、列車はワンマン運行で、人見駅は無人駅だった。運転士は目視で安全確認を行ったが、生徒には気付かなかった。ドアが完全に閉まったことを運転士に知らせる装置も、異常を知らせなかった。列車は時速約40キロで走行。途中、鉄橋も通過し、約2分後に金田駅に到着した。
(読売新聞) - 12月7日3時29分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061206-00000117-yom-soci&kz=soci



足先だけ挟まれるって、どういう状況だったのか?
この記事だけでは詳細がわからないが、駆け込み乗車か?
少なくとも、普通に乗った状態ではないな。
普通の乗っていたら、足先だけがドアに挟まるとは考えられない。

異常な乗り方をしていてドアを閉める運転士が気がつかないことも考えられないが・・・。ドアの外に人がいて車両に接近していたら、発車させること自体が危険ではないのか。

ドアの安全装置が数センチのものを挟んで、異常を知らせなかったというのはおかしい。カバンが中で人間が外という状況なら、場合によっては異常を知らさないことも考えられるが・・・。

この状況で考えられるのは、女子高生は駆け込みか何かで足先が挟まった。しかし体が車両から数10cm離れていたので、運転士は乗れなかったと判断。ランプがドアが閉まってることを示したので発車。

他の可能性もあるかもしれないが、いえることは、女子高生の異常な乗り方。運転士の不注意。電車の安全装置が働かなかった。この3つが重なって起きた事故だということだ。